桜が開花して、あちこちの開花状況や花見の模様がテレビで放映されてますね〜。
前記事の「なぜ…?」は、政治経済担当の先生の話ですが、この時期になると必ず思い出す、今だに忘れられな高校初の授業内容があります。
今度は、倫理社会担当の先生の最初の授業のこと、この花見についてです。詩ごころがないね〜 っといわれそうですが…?
「桜の下で弁当開いて花見していることは、牧場へ行って馬の♂♀の行為を見ながら弁当食べているの同じ」と言われましたね、いきなり爆笑でしたね!
……よく小さい子が、犬の交尾を見て「家のポチが、隣の犬にいじめられている」などと訴えているが、花に虫が訪れているのを見ても、特に何も言わない。
……人間は対象が小さく、ヒトとの類縁が遠い生物対しては寛容である。
我々は生物に詳しいからといって、しょっちゅうこんなことを考えながら歩いているわけではないが、彼女を連れている時、通り一遍の話だけではつまらない。多少興味を持つだろうが、感心されておしまいである。
親しくなったら、たまには少し脚色して、花と虫の話なんぞも効果的である。
「桜は淫乱な花である」 こんなこと言うと、「日本の国花に対して不敬である」と右よりの方から攻撃されそうであるが、間違いではない。花を女性、訪れる虫を男性と考えると春から秋まで、昼間っからそこら中でセックスが行われているということになる。
桜の話を続けると、「チョウチョ、チョウチョ、菜の花にとまれ、菜の花飽いたら、サクラにとまれ、サクラの花の、花から花へ、とまれよ、遊べよ、遊べよ、とまれ」
どうしてこんな、浮気奨励の歌を文部省が認め、世のPTA連も容認しているのか理解に苦しむ」
……多くの虫は花の出す密(=愛液)を目当てに花を訪れる。舌を伸ばして密を吸うためにやってくる。
花は昆虫に奉仕しているわけではない。花粉を持っていってもらう、あるいは持って来てくれたことへの代償(駄賃)を、密で支払っているのである。
ここで問題になるのは持ってくる花粉の種類である。異なった種類の花粉、そんなものを持ってきてもらっても仕方がないのである。同じ仲間の花粉で受粉してこそ、種ができ、子孫を増やすことができる。仲間の花粉を手に入れるために花はいろいろの手練手管を使っている。
さくらは淫乱で相手を選ばないし、相手が多情であっても構わないのである。
大量の花を短い期間に同時に咲かせるため、多情な相手も、その期間は結局サクラだけをおとずれることになるからだ。
そこで誰でも受け入れることをアピールした、花びらが皿のように広がった花を咲かせている。
花びらはその目立つ色と形で、虫にサインを送り呼び集めるだけでなく、相手を選別する道具にもなっている。
花弁の形によって、花の奥に隠してあるご褒美の密を特定の相手だけにわたしているのである。
したがって、花びらを開きっぱなしにして、誰でも受け入れているサクラは淫乱であるということになる。
これは、高校の授業を受けて30年後に発刊された「ちょっとHな生物学(田中義弘・赤池学著)の一説です。
ちょっと長くなりましたが、桜の下で和気あいあいとお花見をするということは、美肌をつくる性ホルモンの充満した空気を鼻や皮膚からいっぱい吸いながら体内のホルモン分泌を促進し、美肌づくりをしているということになりますかね〜?
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posted by yoku760 at 14:10|
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